3年前~告知から転院、治療開始まで
2007年 05月 06日
前回の続きです。
告知を受けてすぐに家族と職場の上司に話しました。
少しして親しい友人や同僚の女性にも…
我が家では娘の病気の時ほどの衝撃はなく、後になってダンナに「娘の時ほど心配しなかった」と言われました。
私自身もそうだったから仕方ないか…
友人の中には私以上にうろたえて心配してくれる人もいて、話さない方がよかったかなと思ったほど。
日頃元気で風邪も引かない私だったので、みんな信じられないようでした。
食欲もあって、仕事中もよく「お腹空いた~」と言っていたので、病気の話をした時に2人の人から「3人目ができたっていうのかと思った」と言われてしまった!
それはそれで衝撃の告白だけどね(^^;
それから、入院予定日の前日に骨髄バンクボランティアの活動予定があったので、キャンセルの連絡をしておかないと、と思い代表に事情をメールしたところから急展開!
代表から「念のために病院、ドクターの評判を聞いてみる」とのメールが来て、その夜のうちに知り合いの医療関係者その他の人から集まった情報を次々に送ってきてくれました。
単なる噂なら無視したのですが…と断って、確かな筋からいくつもの良くない情報が出てきたことを教えてくれたのです。
あのまま手術を受けていたらと思うとぞっとします。
ダンナにも相談して、そこはやめておいた方がいいということになり、早速翌朝病院に電話しました。
手術の予約までしているのに何と言ってキャンセルすればいいんだろう、とドキドキしながら…
外科につないでもらうと看護師が出て、とりあえず「○日に手術の予約をしたんですが、主人が他の病院でも診てもらった方がいいんじゃないかと言いますので…」と言うと、「あ、キャンセルですね」とあっさり言われました。
緊張して構えていたのに、ちょっと拍子抜け。
ただしドクターから話がありますのでと言われて、担当医かと思ってどうしようかと思ったけど、電話に出たのは二度目に細胞診をしてくれたドクターで、「どこで手術を受けていただいてもいいですが、このままどこの病院にも行かないということだけはしないでください」とだけ言われました。
無事キャンセルできてホッと一安心。
それからまた病院選び。
情報を提供してくれた人たちにも聞き、自分でもネットで調べたけど、そういえば太鼓教室の仲間にも女性の外科医(Sさん)がいるんだった!と思い出しました。
ちょうどその日に太鼓の練習があったので、発表会に出られなくなったことも話さないといけないし、ちょっと遅れたけど練習に向かいました。
まず病気のことを話して発表会に出られなくなったと言ったけど、「でも、練習はしたら?」と言われ、そうよね、病気が発覚したというだけでまだ手術も治療もしていないんだから、前回までの練習の時と何も変わってないんやもんねと思い、練習に参加しました。
(結局術前化学療法が始まっても元気だったので発表会にも出たのですが…)
そして、練習が終わってからSさんに相談したところ、成人病センターのK先生か県立K病院のS先生がいいのではないかとのことでした。
それで、自分で調べて成人病センターがいいのではないかと思っていたし、場所的にもK病院より近いので、成人病センターに決めました。
Sさんは、診察していないので正式の紹介状は書けないけどファックスを入れておくと言ってくれたので、お願いしました。
K先生のこと、「あのおっさん、腕は確かやから」って、おっさん呼ばわり?!
(実は偉い先生だった!)
この際少しでも早く行った方がいいだろうということで、上司に電話して金曜の夜からの急展開について説明し、月曜日仕事を休ませてもらって病院に行くことにしました。
そこで、信頼できるK先生と出会うことができ、無事治療を始めることができたのです。
娘の病気がきっかけで始めた骨髄バンクボランティアの方に助けていただいて…
娘が病気になったことで私が救われたわけで…
不思議なものやなぁと思います。
すべて無駄ではないんですね。
太鼓も意外なところで役に立ったし…
お世話になった代表の方にお礼を言うと、「私にお礼はいいから。すまっぺさんがしてもらったことをまた誰かにしてあげればいいから。」と言われました。
長年白血病と闘っている彼女には、闘病に当たってのアドバイスや励ましの言葉もたくさんいただきました。
他のボランティア仲間にも…
多くの人に支えていただいたことを忘れず、自分にできることをしていきたいと思います。
こうして病気を経験し、生かされていることには何か意味があるはず!
告知を受けてすぐに家族と職場の上司に話しました。
少しして親しい友人や同僚の女性にも…
我が家では娘の病気の時ほどの衝撃はなく、後になってダンナに「娘の時ほど心配しなかった」と言われました。
私自身もそうだったから仕方ないか…
友人の中には私以上にうろたえて心配してくれる人もいて、話さない方がよかったかなと思ったほど。
日頃元気で風邪も引かない私だったので、みんな信じられないようでした。
食欲もあって、仕事中もよく「お腹空いた~」と言っていたので、病気の話をした時に2人の人から「3人目ができたっていうのかと思った」と言われてしまった!
それはそれで衝撃の告白だけどね(^^;
それから、入院予定日の前日に骨髄バンクボランティアの活動予定があったので、キャンセルの連絡をしておかないと、と思い代表に事情をメールしたところから急展開!
代表から「念のために病院、ドクターの評判を聞いてみる」とのメールが来て、その夜のうちに知り合いの医療関係者その他の人から集まった情報を次々に送ってきてくれました。
単なる噂なら無視したのですが…と断って、確かな筋からいくつもの良くない情報が出てきたことを教えてくれたのです。
あのまま手術を受けていたらと思うとぞっとします。
ダンナにも相談して、そこはやめておいた方がいいということになり、早速翌朝病院に電話しました。
手術の予約までしているのに何と言ってキャンセルすればいいんだろう、とドキドキしながら…
外科につないでもらうと看護師が出て、とりあえず「○日に手術の予約をしたんですが、主人が他の病院でも診てもらった方がいいんじゃないかと言いますので…」と言うと、「あ、キャンセルですね」とあっさり言われました。
緊張して構えていたのに、ちょっと拍子抜け。
ただしドクターから話がありますのでと言われて、担当医かと思ってどうしようかと思ったけど、電話に出たのは二度目に細胞診をしてくれたドクターで、「どこで手術を受けていただいてもいいですが、このままどこの病院にも行かないということだけはしないでください」とだけ言われました。
無事キャンセルできてホッと一安心。
それからまた病院選び。
情報を提供してくれた人たちにも聞き、自分でもネットで調べたけど、そういえば太鼓教室の仲間にも女性の外科医(Sさん)がいるんだった!と思い出しました。
ちょうどその日に太鼓の練習があったので、発表会に出られなくなったことも話さないといけないし、ちょっと遅れたけど練習に向かいました。
まず病気のことを話して発表会に出られなくなったと言ったけど、「でも、練習はしたら?」と言われ、そうよね、病気が発覚したというだけでまだ手術も治療もしていないんだから、前回までの練習の時と何も変わってないんやもんねと思い、練習に参加しました。
(結局術前化学療法が始まっても元気だったので発表会にも出たのですが…)
そして、練習が終わってからSさんに相談したところ、成人病センターのK先生か県立K病院のS先生がいいのではないかとのことでした。
それで、自分で調べて成人病センターがいいのではないかと思っていたし、場所的にもK病院より近いので、成人病センターに決めました。
Sさんは、診察していないので正式の紹介状は書けないけどファックスを入れておくと言ってくれたので、お願いしました。
K先生のこと、「あのおっさん、腕は確かやから」って、おっさん呼ばわり?!
(実は偉い先生だった!)
この際少しでも早く行った方がいいだろうということで、上司に電話して金曜の夜からの急展開について説明し、月曜日仕事を休ませてもらって病院に行くことにしました。
そこで、信頼できるK先生と出会うことができ、無事治療を始めることができたのです。
娘の病気がきっかけで始めた骨髄バンクボランティアの方に助けていただいて…
娘が病気になったことで私が救われたわけで…
不思議なものやなぁと思います。
すべて無駄ではないんですね。
太鼓も意外なところで役に立ったし…
お世話になった代表の方にお礼を言うと、「私にお礼はいいから。すまっぺさんがしてもらったことをまた誰かにしてあげればいいから。」と言われました。
長年白血病と闘っている彼女には、闘病に当たってのアドバイスや励ましの言葉もたくさんいただきました。
他のボランティア仲間にも…
多くの人に支えていただいたことを忘れず、自分にできることをしていきたいと思います。
こうして病気を経験し、生かされていることには何か意味があるはず!
by smappe02
| 2007-05-06 23:23
| 乳がん